兄弟―BROTHER―

オイ、キョウダイ、ゲンキデヤッテルカヨ? オレハ、ライゲツケンタッキーデ、ギグ ガアルンダ。

「兄弟」とお互い呼び合う仲の踊り手、エドワルドからのメールだった。彼との付き合いはすでに3年目になり、離れてはいるが、お互いなにか共通 するものを感じ、よく連絡を取り合っていた。

1年くらい前のことなのだが、メキシコ出身の彼は、ショウビズのなかで生きている少なからずの人たちがそうするように、ドラッグに深く手を染めていた。それもちょっと値が張るやつだ。ステージ上での動きにも緩慢さが端々に見 られるようになり、グループのなかの人間関係は悪くなる一方だった。公演の前日に、彼の態度に我慢ならなくたったリーダーのフリア・アルカンタラから空港まで送り返すようにと頼まれ、車でそこ着いた時には自分までみじめな気持ちになった。 もっとも、負けず嫌いのエドワルドは胸をはって飛行機に乗って帰って行ったのだが。もうフラメンコなんか撮るのをやめてやろうとも思ったその日は、テキサスの太陽が何ものにも容赦なく照りつけていた。

そしてケンタッキー。エドワルドが公演とワークショップをやる予定になっているルイヴィルという街から100マイル、車で2時間ほどのところに住んでいる自分は、新しい仕事に順応しようとしている中からなんとか時間を繰り出し て、南へ向かう。

劇場で会う久し振りのエドワルドは、驚いた、余計な肉は削げ、健康的な面 持ちで頬には赤みがさしている。「いい感じじゃないか」と言うと、「ああ、クリーンになったんだ」。

舞台のほうは地方のアマチュアグループとのジョイント公演としてはなかなか悪くない出来だった。なによりも皆が本当に楽しそうに踊っているのが印象に残った。
同じことをずっと続けていると、保って行くのがいちばん大変なものがこれだ。

舞台がはねた後、エドワルド、そしてニューヨークから呼ばれたマリアとアルトゥロと共に打ち上げパーティーの会場に向かう。エドワルドとの再会の乾杯は、もちろん、奴の奢りのビール。床に石が張られたアルゼンチン料理屋。パ ーティーがすすむにつれ皆がセビジャーナスをひらひらと舞い出す。

壁に寄り掛かってその状況を楽しんでいる自分のところに、踊りを終えたエドワルドが寄って来る。「おい、ジュン。どうやら俺はあの金髪の娘と今晩上手いこと行けそうだぞ」と、一人の踊り手を指す。 オーレ。

パーティーの後、彼女と段取りを付けたようで滞在先のホテルに戻るために車へ。彼の荷物があるので、エドワルドは自分が送っていくことになる。 「俺はふだんはブロンドの女の子にはほとんど興味はないのだけど、彼女は違うんだ」 「そーかい、そーかい」と、日本語でつぶやきながら奴の後をあるく。

ホテルの部屋に戻ってからはマリアも含めて3人でビールを飲むことにした。アルトゥロを送ってくるはずの「彼女」がまだ来ないかと、窓の外が気になるエドワルドは飼い主を本屋の外で待っている犬のようだ。そして、その、ホテ ルでの宴は3人とも同じ齢ということもあってか妙に気が合い、時間を忘れさせるものとなった。

そのうちに、お互いの顔が写っている免許証などを見せ合うようになった。そして、今の素直な黒髪からは想像もできないくらいに染めあげた金髪と、厚化粧のマリアの顔が「アメリカ合州国」と刻まれたグリーンカードにあった。ヘレス出身の彼女は一瞬の隙もないほど陽気なのだが、「これを得るために沢山泣いたわ」と言うその表情に、ほんの少し陰りが見えたような気がした。ヘレスには10年戻っていないというが、舞台で聴いた彼女のカンテにはなにか匂うものがあった。

午前3時をまわったくらいだろうか、突然、隣のアルトゥロの部屋からの「どんどん」という壁をたたく怒りの音で3人の笑い声は止められた。あれ?「彼女」に送ってもらうはずのアルトゥロはまだホテルに戻ってきてないんじゃな かったっけ? 「あら、彼女はあんた達がビールを買いにいっているあいだにアルトゥロのことをホテルに送り届けて帰ったわよ」

この一言を聞いて、自分とエドワルドは驚いた顔を一瞬見合わせてから弾かれるように笑い出した。段取りが全部オジャンじゃないか。
「兄弟、もう1本ビールを呑むか」
「ああ、そうだな」

太陽がケンタッキーの空を白くやさしく照らすまで、ビールを呑み、語り、笑った。
ドラッグから足を洗い、クリーンになったエドワルドとの嬉しい再会だったが、本当のドラッグは、そう、これ、フラメンコなのかもしれない。

 

 


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