「Last Day in Texas - テキサスを去る日」
2001年5月。 それはアメリカの大学の春学期が終わり、学生の皆が4ヶ月の長い夏休みに入るので気分が浮かれている時期だった。 自分はといえば、提出期限がとうに過ぎている卒業論文を仕上げるのに必死で、毎日、朝から晩までコンピュータのスクリーンを睨みつけていた。 そんな春のある日、地元ダラス・テキサスの若手フラメンコダンサーで、油彩 家でもあるフリア・アルカンタラから電話があった。 月末に例のクラブで全米から人を集めて、再びギグをやる、ということだった。 メキシコからはエドワルドが、サンタフェからはガブリエルが来る。 皆知った面 々が集まる。 困った。
というのは、私事ながら大学院出たての自分にも仕事が舞い込み、中西部、インディアナ州の小さな町に向けて1,600kmの道のりを一人で引っ越しをする日とその日が重なっていたのだった。 行きたいのはやまやまだが、ちょっとむづかしそうだ。 そのことをフリアに伝えると、「それでも、なんとしてでも来なければならない」という、ほぼ命令系の答えが返ってきた。 彼女の言い分はこうだ。 「ジュンがテキサスに来てフラメンコの写 真を撮り始めることができたのは私が居たから。 最後にテキサスを出る時もちゃんと私の写 真を撮ってからにしてちょうだい。」
2年半の付き合いだ。行くしかないか。
無事、借りたトラックにすべて荷物を積み終わったのが出発の前夜。 ギグは同じ夜8時から始まる。 すでに夏の空気を感じさせるダラスに、よたよたと走るビュイックを滑り込ませたのは開演時間から1時間遅れてからのことだった。
会場のチケットもぎりの娘は、前に何度か顔を見たことがある。 彼女が、もう始まっているわよ、早く行って写 真を撮ってちょうだいと手招いて会場に入れてくれる。 このクラブ、「ジプシー・ティー・ルーム」は照明が独特なので面 白い写真が撮れるし、舞台裏もまた一風変わった雰囲気なので自分も気に入っているベニューのひとつだ。 さっそくフィルムを込め舞台前まで進むと、タンゴを踏んでいたフリアがちらっとこちらを見る。 ああ、やっぱりこれだ、と思いながらシャッターを切りはじめる。 卒業への準備が忙しくて舞台から遠ざかり、今回は半年振りとなる。 でも感覚はすぐ戻ってきた。 彼女のコンパスに合わせてさらにシャッターを切る。
第一幕が閉じるとすぐに、舞台裏の階段を駈け登って彼女らの後から控え室に入る。 入り口そばで舞台後の汗をぬ ぐっていたエドワルドと握手を交わす。 「おぉ、フリアがお前は来ないって言っていたけど、来てくれたんだな、兄弟。」 彼とは、歳が同じという事もあり最初に会ったときから意気投合している仲だ。 話す時にはいつも「兄弟」が最後に付く。 控え室を進むにつれ見慣れた面 々が現れ出す。 そして、フリア。
「あぁ、だめよ、テキサスから出て行っちゃ。 皆こんなに集まっているのに、 私達から別 れるなんてできないわよ。」
開口いちばんにこれだ。 「そんなこと言っても、貧乏生活から脱出できるかもしれないこの仕事なのだから。」 と、フリアに言いながら、もしかしたらこの生活があったからこそフラメンコを撮り続けられたのかも知れないな、と思った。舞台は進み、真夜中ちかくに最終幕がはねた。 それはフエルガが始まるまでの話だが、舞台の後というのはいつも妙に静かだ。 明日の出発は早朝だ。 20時間の運転のために、睡眠をとらなければと皆に別 れを告げた。 控え室を出てステージ脇のバーを通り過ぎると、エドワルドが居た。 ビールを一緒に飲もうという。 こいつには、いつも奢られっぱなしなので、今日こそはと軽い財布を先に抜き出した。 「これがテキサスでの最後の乾杯だな、兄弟。」
相変わらず冷え過ぎたテキサスビール、シャイナーのボトルを合わせると、 「いや、兄弟。」
口元のビールの泡を手で拭いながらエドワルドが続けた。 「お前にこのビールを奢り返さなきゃならないからな。 すぐ戻って来なきゃならないぞ。」どうやら、こいつら、フラメンコとは一生縁が切れなさそうだ。